祖母が亡くなり、生きることについて考えたこと

こんばんは、るーるーです。

先日、私を生まれたときから手塩にかけて育ててくれた祖母が亡くなりました。

気持ちの整理もつかないまま、一気にお葬式が終わり、初七日が終わったところです。

まだ、悲しみが時々押し寄せてきますが、祖母について色々考えたことがあって、それを忘れたくないと思ったので、ここにメモしていきたいと思います。

 

祖母の死によって、人は年をとっていつか死ぬということを実感しました

私は、おばあちゃんが亡くなるまで、おばあちゃんはいつか亡くなるのだ、ということは頭ではわかっていましたが、どこかで、永遠にいてくれるような、いつでもいてくれるような感覚で、今までの日々を過ごしてきたと思います。

おばあちゃんが、作ってくれるおかずについてもあまり感謝の気持ちを表すでもなく、たくさん食べるでもなく(おいしければ食べますが)、おばあちゃんが繰り返し同じ話をすると、「それいつも言ってる」「さっきも聞いたよ」なんて言ってしまったこともありました。

だけど、私が生まれたときは60代でまだまだ元気だったおばあちゃんが、私が中学、高校、大学、結婚と変化していく中で、おばあちゃんもいつの間にか年とともに弱っていきました。

いつも、一緒に遊んだり、おんぶしてくれたり、自転車に乗ったり、旅行に行ったりしているおばあちゃんのイメージが強くて、おばあちゃんが弱っていって、耳も遠くなって、会話もままならなくなっていくなんて、全く想像できませんでした。

こんな風に人は年をとっていくなんて、実感としてはわかっていなかったのだと思います。

 

おばあちゃんにもっと喜んでもらうにはどうしたらよかったか

今、おばあちゃんがいなくなって「おばあちゃんに対してどうしたらもっと良かったかな」、なんて考えたりしています。

考えたら、私はおばあちゃんに沢山喜んでもらいたかったな、と思いました。

私については、私が存在すること、生きているだけでおばあちゃんは喜んでいたように感じます。それは私もおばあちゃんが生きているだけで良かったからかもしれません。

他には、家を掃除したり、草むしりしたり、きれいにすることを、おばあちゃんは喜んでいました。

他には、よく、「スーパーカップ」や、「いちごしぐれ」などのアイスを買ってきていました。

旅行や、日記を書くことも好きでした。日記には、私など孫の成長日記や、父のその日の予定、家族の予定などを書いていました。

昔は、どうして私の事を日記に毎日書いているのだろう、なんか監視されているみたいでいやだなと思ったこともありますが、今、子育てしていて、私も子どものことを毎日ではないにせよ書いているので、何かかわいいことをしているときや、子どもが成長したな、と感じることを書きたい気持ちはわかります。

また、祖母は俳句や習字を趣味にしていました。そして私たち孫に習字を教えてくれて、段が上がったり、賞をとったりすると喜んでいました。

祖母は、私たち孫を、愛情いっぱいに世話してくれました。母に理不尽なことで怒られて私が泣いていると、おばあちゃんが優しく慰めてくれました。

私の母と父は感情のコントロールがあまりうまくなく、幼い部分があるので、おばあちゃんがいてくれて、安心することができました。何があってもおばあちゃんは味方でいてくれるという気持ちがありました。

おばあちゃんが年を取っていくにつれて、おばあちゃんはあまり主張しなくなりましたし、同じ話を何度もしたりしていましたが、その時は、うんうんともっと聞いてあげればよかったな、そういうおばあちゃんとのやりとりを楽しめば良かったなと思います。

おばあちゃんは、誰ともスキンシップはする機会がないので、おばあちゃんの手をマッサージしてあげたいな、と思って、マッサージオイルを買ってマッサージしてあげたことがありました。

おばあちゃんの細くなってしまった腕にオイルを塗ってマッサージしてあげると、おばあちゃんはあまり感情を表さなくなっていたけど、とても嬉しいんだということが伝わってきました。だから、マッサージはもっとしてあげれば良かったなと、今思います。

おばあちゃんに、去年の夏、服をプレゼントしました。おばあちゃんに服を買うのは初めてでした。なぜ買ったかというと、おばあちゃんの家に行ったとき、ずいぶん昔から着ている、もうだいぶ汚れてしまった服を着ていたからです。

服をプレゼントしたら、おばあちゃんは、それから毎日のように私が贈った服を着ていたそうです。嬉しかったんだな、と思いました。おばあちゃんは、高齢になるにつれ、自分で買い物に行くことがなくなり、ずっと家にこもるようになったのですが、だからこそ、いろんなものを買ってあげれば良かったな、と思いました。(時々アロマオイルや花などはプレゼントしていましたが、もっとたくさんおばあちゃんのことを気にかけていればよかったのにと思います。)

この経験を生かして、父や母、兄弟、夫、子ども、友人に対しても悔いのないように接していきたい

どういうふうに人と接して行けば、悔いが残らないのか、考えたことをまとめます。

・相手が永遠に元気だとは思わない。いつか、耳が遠くなったり亡くなったり、コミュニケーションがうまくいかなくなったり、一緒にできることが少なくなっていくということを頭に置いておく。

・話したいことや聞きたいことは話し合っておく

・相手がどうしたいのか、という希望を聞いておく。相手にとってどうなったら嬉しいのか、どうしてもらったら嬉しいのかを考えたり、本人に聞いたりしておく

・大切な人が喜ぶことはどんどんやっておく(プレゼント、マッサージ、話すこと、きちんとうなずいたり共感したり楽しく話すこと、一緒に遊んだり、旅行したり、お願いを聞いてあげる)

・笑顔でお迎え、お見送り、相手の存在を喜び、慈しむ

・特に相手が元気なうちはなにも考えないが、相手に伝えておかなくてはいけないことはきちんと伝える。(これはおばあちゃんには、手紙で感謝の気持ちなど伝えていたので悔いはないです。)

・家族や大切な人に愛や感謝の言葉をかける(愛や感謝の言葉とは、どんなものがあるのでしょう、「ありがとう」「大好きだよ」「愛してる」「お疲れさま」)

私自身もいつか死ぬ、それを頭に入れて人生計画を立て直したい

私自身、この生活が永遠に続いていくかのように感じているので、祖母の死を機に、エンディングノートなど終活もやっていきたいと思います。

そうすれば、より、今の日常が充実したものとなる気がします。

1.家族など大切な人に対してどうしたいかということ

2.自分がこの世でやりたいこと、どうしたいのか

この二つを分けて考えて、これからは、特に2について、あまり考えてなかったので考えていきたいと思います。

また考えがまとまったら書くかもしれません。

今日はこのあたりでおやすみなさいノシ

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