「すべてがFになる」というアニメを見てから、「生と死」「娯楽」についての見方が変わったように思います。
「すべてがFになる」はアニメだけでは全ての謎が解明されてないみたいで、登場人物についてもっと知りたい気持ちや、なぜそうしたのかということが気になってここ約1週間、ずっともやもやしています。
もやもやしているなら、「原作の何冊もある小説を読めばいいじゃないか!」と思いますが、私は小説を読むのが苦手なのか、小説を読破した経験が10冊にも満たないです。
「時間の無駄」は人によって違う
私は以前、ただの娯楽で何も得るものがないことに時間を費やすことを、時間の無駄だと思っていました。
例えば、私はモンハンが好きで何時間も費やしていますが、ぼーっとやっているとふと、「私は何をやっているのか」「これをやって何になる」などと思うことがありました。
いくらやったところで現実が変わるわけではありません。強くなるのはゲームの世界の中だけです。
ですが、私が最近思うのは、楽しい時間を過ごすことは無駄ではないということです。
言い換えると、無駄かもしれないことでも自分が価値があると思うことに時間を費やせばいいということです。
このことが分かって、人生が初めて楽しいものになるという気がしました。
他人の価値観で「時間の無駄だ」とレッテルを貼られてしまって、「そうかこれは時間の無駄なのか」と考えてしまうことは、自分の楽しみを減らすことになります。
言葉には影響力があるので、「時間の無駄だ」なんて言ってくる人には困ってしまいますが、影響されないように注意した方がいいと思います。
私は今までとても影響されやすい人でした。自分の価値観がしっかりしていなかったので、誰かの価値観で生きてしまっていました。そうすると全く楽しくなくなるということは私が体験済みです。
「無駄なこと」というレッテルが外れたきっかけ
人が生きる目的は特に決められていないので(以前は誰にでも当てはまる生きる目的は何かしらあるんじゃないかという前提でしばらく悩んでいた時期がありますが、やっぱりないようです)、自分でどう生きるか決めていいんです。
人を傷つけたり違法なことをしない限り、自由に生きていいと思います。
正義感もいいですが、「人はみんな自由に生きていいのだ」という前提がわかっていないと、自分の世界の狭い考え方を人にも当てはめようとして、自分が苦しむことになります(私も体験済みです苦笑)。
私がそんな風に思うようになったきっかけは、「支配されちゃう人たち」という本を読んだことも大きく関係していると思いますが、「わが子の誕生」と「わが子と過ごしている時間」だと思います。
子が生まれてから4か月くらいですが、わが子がとても愛おしくて、生きている時間を共有しているだけで嬉しく幸せな気持ちになります。
ベッドで子がすやすや眠っているところを横で見ている時間。これって私は何も生産していませんが私にとって何物にも代えがたい時間です。
そういう時間を過ごすうちに、私の時間の使い方についての価値観が変わって「何かを生産する、生産しないに関わらず、自分が価値があると思うことに時間を費やしてもいいんだ!」と思うようになりました。
自分が価値があると思うことに時間を費やすということは、楽しく、主体的に生きていくための基本的なルールではないでしょうか。
だから他の人にどう見られるかを気にして行動したり選択したりしていると、だんだん辛くなってくるんですね。
楽しい・幸せな時間、まさにその時を大事にしたい
私の限りある時間をどう使うか、これを考えると「すべてがFになる」の謎を知るために原作の沢山ある小説をすべて読むかどうかとても迷うわけです。そのシリーズを全部読むことで、テーマとなっている「生と死」について新たな発見があるのではないか、と思うので読みたいのですが、、、他のやるべきこと(自分の中で優先度が高いもの)をやっていると時間がないような気がする、、でもいつか絶対に読みたいです!(ここら辺はただの私の頭のもやもやを書き出したものですみません!)
昔は娯楽に時間を費やすことは悪だとなんとなく思っていました。
だけど、「自分が価値を感じることに時間を使うこと=人生をいきいきと楽しく生きるこつ」だとすると、そういう時間は娯楽と言ってもいいんではないだろうか、と思うようになってきました。別に娯楽という言葉を使わなくてもいいと思うのですが、あまりにも私の中で娯楽という言葉の印象が悪いので、あえて「娯楽」に注目しています。
もし、人生を価値があると思うことだけに時間を費やすことができたなら、人生=娯楽の時間になるなあ、とそんなことを思っていました。
これを実現するために必要なことは、「自分が何に価値を感じているか」にいかに注目することができるか、だと思います。
仕事もまず最初に選ぶときにやりたくない仕事を選ばない、少しでも価値を感じる仕事を選べば、もしかしたら仕事も娯楽のようになるかもしれません。
まとめ
私の頭の中を整理したくて書いてみましたが、まとめると、
「○○をしている私を自分で卑下していたが、それは自分が楽しんでいるなら卑下する必要はない。○○が私にとって楽しいならその時間を大切にしよう。楽しいことや幸せなこと重要だと思うことに時間を使うということは、人生を有効に使えているということではないのか。ただし、自分にとって優先度が高く重要なものが何かということは考える必要があるが。」
ということだと思います。
それに考えすぎて頭が疲れている人は、たまに娯楽としての映画などを見て、何も考えず楽しむことが脳のリフレッシュにつながる気がします。
何に人生を使うか、子育て、小説や雑誌、ゲーム、アニメなどこの世にある全てのものを見ることはできません。だから選ぶ必要があるんですね。ぼーっとしている時間は、疲れている証拠かもしれないし、そんなに何かしなきゃと焦らなくても自分のペースで、後悔のないように生きていけばいいんじゃないのかと思った次第です。
コメント
はじめまして。北海道十勝でハンターをしている、めめんと森と申します。
ブログの名前に引かれてやってきました。
タイトルにあるように「情報化社会における合目的性とは、実は付加的情報の省略にすぎない」ということだと、昔から感じていました。
一見無駄な事、意味のない事も大切な事なのだと思っていました。
これからこのブログ見に来ます。
体に気を付けて、母子ともに健康であってください。
私のこのブログで初のコメントをくださってありがとうございます!
そしてこれからも見に来てくださるとのことで、とてもうれしいです!
ブログ更新の励みになります。
ハンターとは、本物の狩りですか?それともモンハンのハンターさんですか?モンハンの話題にも記事に触れていたのでもしかしてと思いました。
私の体のことまで気を配っていただいてありがとうございます。めめんと森さんもお体ご自愛くださいね^^