今回メモしたい本は「嫌われる勇気」という本で、アドラー心理学を研究している方が書かれた本です。
アルフレッド・アドラーの思想が「青年と哲人の対話篇」という物語形式で書かれています。
自分が青年になって哲人と対話しているような気持ちで読めるので面白いです。
ただ、最後まで読むとわかった気になるのですが、難しい話だからかすぐ忘れてしまうので、自分の言葉でどんなことだったのかまとめてみたいと思います。
第一夜 トラウマを否定せよ
人は変われるし、誰でも幸せになることができる
・引きこもりで外に出たい、だけどでられない、と悩んでいた人がいたとしたら、それは目的に沿った行動である。引きこもることで何かメリットがあるから引きこもっているにすぎない。アドラー心理学ではトラウマを否定し、前へ進もうとする考え方である。
・人は怒りをねつ造し、道具として使っている~怒鳴ったりするのは、言葉で説明するのを面倒に感じ、相手を安直な手段で屈服させるため。自分の主張を押し通すために使っている。アドラー心理学では「人は感情にも過去にも支配されない」と考える。
・人生の答えは誰かに教えてもらうのではなく自分で導かなければ納得できない。人から教えてもらった答えは対症療法にすぎない。
・もしも現在幸せでないならこのままでいいはずがない
・大切なのはなにが与えられているか、ではなく与えられたものをどう使うか
あなたの不幸はあなたが選んだもの
あなたが不幸なのは自分で「不幸であること」を選んだから。不幸であることによって何か自分のためになると考えたから。
人生における思考や行動の傾向=世界観なら変えることが可能。
変わりたいのに変わらないのは、変わらないでいれば、出来事にどう対処し、その結果まで推測できるから。そのほうが少し不便なことがあっても楽だし安心だから。
アドラー心理学は勇気の心理学。ただ幸せになる勇気が足りないのです。変わるということは不安がつきものだから。
「やればできる」という可能性を残しておきたいから、言い訳してやろうとしない。
世界や自分への意味づけ(ライフスタイル)を変えれば、変わらざるを得なくなる。ライフスタイルをただ選びなおせばいい。
これまでの人生になにがあったとしても、今後どう生きるかにはなんの影響もない。
第二夜 すべての悩みは対人関係
なぜ自分の事が嫌いなのか
自分の短所をあれこれ挙げて、自分を好きにならないでおくことによって、「もし~だったら~できるのに」という可能性を残しておくことができる。
もし勇気を出して行動してしまったら、自分が傷つくのを極度に恐れているから、言い訳してやらない。
「人間関係において傷つかないこと」が目的で、人は自分を嫌いになったり、人と関わらなくて済むような状態を作っている。
できることは、今の自分を受け入れ、結果がどうあれ前に踏み出す勇気を持つこと。こういうアプローチをアドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいる。
劣等感は主観的な思い込みである
劣等感とは、自分にはこの程度の価値しかないのだ、という感覚。
主観にはいいところがあり、自分でどう物事を捉えるかを選べるということ。
アドラーは「優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激だ」と言っている。
劣等感の正しい使い方(バネにして頑張る)をすれば、成長の促進剤となる。
しかし間違った使い方(どうせ~なんてと、あきらめる)をすれば劣等コンプレックスとなり、できない言い訳をし始め、自分を納得させてしまう。
自慢する人は劣等感を感じている
○劣等感=バネにすれば悪いものではない。健全な劣等感とは、他者との比較ではなく理想の自分との比較から生まれる。
△劣等コンプレックス=~だから~できないと言い訳する
×偽りの優越感に逃げる=優越コンプレックス=できない自分を受け入れられないので、他から権威の力を借りてきて自分を大きく見せる。そういう人は他人の価値観で生きているので自分の人生を生きていない。自分が優れていることを誇示しないとだれもこんな自分を認めてくれないと恐れている。不幸自慢も、不幸であることによって特別であろうとし、不幸であるという一点で人の上に立とうとする。不幸を武器に、人をコントロールしようとする。
人生は他者との比較ではない
人は同じではないが対等である。
違いを善悪や優劣と絡めてはいけない。
今の自分よりも前に進もうとすることに価値がある。
対人関係の軸に競争があると、人は対人関係の悩みから逃げられず不幸である。なぜなら競争していると、他者や世界を敵とみなすようになるから。
でも他者はそんなに自分を気にしていない。競争という軸で考えなければ他人は仲間になっていく。
権力争いから復讐へ
私的な怒りと公的な怒り(自分の利害を超えている)は違う。
もし、罵倒されたりしたらその人の目的を考える。相手の言動で腹が立ったら、相手が権力争いを挑んできている、と考える。
その目的とは勝つことで自らの力を証明したいということ。
その喧嘩にこちらが参加したとして、相手を負かしてしまったら復讐の段階に入る。例えば、親を困らせるために問題行動を起こしたり。
だから、権力争いを挑まれたらぜったいに、乗ってはいけない。リアクションをかえさない、ということ。自分が正しいと思った場合でも、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。なぜなら人は、対人関係の中で「私は正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているから。「私は正しい、あの人は間違っている」というのは主張の正しさから対人関係の在り方に移ってしまっている。
私が正しいと思うなら、それだけで自分だけで完結してよい。人を屈服させようとしてはいけない。
アドラー心理学における行動面と心理面の目標
行動面の目標~「自立すること(自己受容)」「社会と調和して暮らせること(他者信頼・他者貢献)」
心理面の目標~「わたしには能力がある(自己受容)」「人々は私の仲間である(他者信頼・他者貢献)」という意識が行動を支える
これを達成するには「人生のタスク(仕事のタスク、愛のタスク、交友のタスクの3つに分けられる、生きていくときに直面せざるを得ない対人関係のこと)」に向き合うことが必要。
愛のタスクが一番難しく、本当の愛とは、劣等感を抱かず優越性を誇示する必要もなく、平穏で自由に振る舞えると感じたとき、実感できるもの。
親子関係では逃げてはならない。向き合うことを避けたり先延ばしにしたりしてはいけない。一番いけないのはこのままの状態で立ち止まること。
これは善悪の問題ではなく勇気の問題である。
第三夜 他者の課題を切り捨てる
アドラー心理学では他者から承認される必要などない
むしろ承認を求めてはいけない。
なぜ他人の承認を求めるのか、それは賞罰教育の影響が大きい。(~したらほめてもらえる、~したら罰せられる)
私たちは他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の人生を生きるのではない。
他者も、あなたの期待を満たすために生きているのではない。だから相手が思うように動いてくれなくても怒ってはいけない。
子供がどうするかは子供の課題であって親の課題ではない
誰の課題なのか、という視点で自分の課題と他者の課題を分ける必要がある。
そして、他者の課題には手や口をださない。
対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことや、自分の課題に土足で踏み込まれることによって生じる。
誰の課題か、を見分ける方法は、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのはだれか」を考えればわかる。
親は、子供が何をしているのか知ったうえで見守らなければならない。
勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が勉強したいと思った時にはいつでも援助をする用意があることを伝えておく。けれども子供の課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれもしないのに、あれこれ口出ししてはいけないのです。
・・・
本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。
『嫌われる勇気』p142、143
対人関係の悩みを一気に解消する方法
自分にできることは、自分の信じる最善の道を選ぶことだけ。それを他者がどう評価するかは、他者の課題であるので自分にはどうすることもできない。人の視線が気になるのは、まだ課題の分離ができていないからだ。
相手が理不尽な怒りをぶつけてこようともそれは私の課題ではない。それは相手が始末するべき課題であるから、すり寄る必要も、自分を曲げてまで頭を下げる必要もない。自分は自分の人生に嘘をつくことなく課題をやるだけである。
何か起きたら、「これは誰の課題なのか」を考えよう。そして、他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させないことが大事。課題の分離は、対人関係の入り口である。
良い対人関係を結ぶにはある程度の距離が必要。
他者からの承認を選ぶか、承認なき自由の道を選ぶか
他者の期待を満たすように生きることや、自分の人生を他人任せにするのは、自分に嘘をつき周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方である。
他者に嫌われたくないという欲求は自然なことだ。
本当の自由とは、自分の生き方を貫くこと、自分の生き方を貫いていると嫌われることもあるが、相手が自分をどう思うかは相手の問題なので介入できない。
対人関係における自由のコストとは他者から嫌われることだ。
対人関係のカードはすべて自分が握っている
嫌な相手との関係を修復するかしないかは自分が決めることだ。
仮に修復すると決心したとしても、変わったの自分だけである。決して相手を変えようとしてはいけないが、自分が変わると多くの場合相手も変わらざるを得なくなる。
第四夜 世界の中心はどこにあるか
対人関係のゴールは「共同体感覚」
共同体感覚とは他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること。
アドラーは共同体とは「家庭や学校、職場などだけでなく、国家や人類などを含むすべてであり、過去から未来すべてであり、動植物や無生物までも含む」としている。
自己への執着(自己中心的)を他者への関心に切り替えていこう。
自己中心的な人物とは、課題の分離ができておらず、承認欲求に捉われている人。人に良く思われたいから人の視線を気にしているのは、他者への関心ではなく自分にしか関心がない自己中心的なライフスタイル。
自分は共同体の一部であって中心ではない。
人はみんな「ここにいてもいいんだ」という所属感を求めている。しかし、それはそこにいるだけで得られるものではなく、共同体に対して自らが積極的に働きかけたこと(わたしはこの人になにを与えられるか)によって得られる。つまり、人生のタスクに立ち向かうことだ。
所属感は自分で獲得していくものだ。
より大きな共同体の声を聴け
私たちは地球という共同体に属し、宇宙という共同体に属している。
例えば学校だけがすべてだと感じているとどこにも所属感を持てないが、転校したり退学したり、学校以外の場所に居場所を見つければよい。
誰でも対等な人間だから、理不尽な要求を突き付けられたら正面から異を唱えてよい。それで崩れてしまう程度の関係なら、捨ててしまってかまわない。関係が壊れることだけを恐れて生きるのは他者のために生きる不自由な生き方。目の前の小さな共同体にこだわる必要はない。
叱ってもほめてもいけない
アドラー心理学では子育てでも他人とのコミュニケーションでも「ほめても叱ってもいけない」という立場をとる。
なぜならほめるということは「能力のある人が能力のない人に下す評価」だから。人が他者をほめるとき、その目的は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」であり、そこには感謝も尊敬もない。そして、ほめられることによって自分は能力がないという信念を形成してしまう。
そもそも劣等感は縦の関係から生じる意識である。「同じではないが対等」という横の関係を築くことができれば劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなる。
また、介入も、相手を自分より低く見ているからしてしまう。「勉強しなさい」などはその典型。
一方の援助は、課題の分離ができていて横の関係がある。本人に「自分は勉強ができるのだ」と自信を持ち、自分で課題に立ち向かっていけるように働きかけること。こういう援助をアドラーでは「勇気づけ」と呼ぶ。
勇気づけとは
一番大切なのは他者を評価しないこと。
人は自分に価値があると思えた時にだけ勇気を持てる。自分に価値があると実感するのは「私は共同体にとって有益だ」と自分の主観として思えたとき。
1.ありがとうという感謝。~人は感謝の言葉を聞いたとき、他者に貢献できたことを知る
2.うれしい、と素直な喜びを伝えること
3.助かったよ、とお礼の言葉
存在しているだけで価値がある
他者の事を何をしたかで判断せず、存在自体を喜び、感謝の言葉をかけていく。
他者との関係を縦で考えるか横で考えるか、人間はそれを使い分けられるほど器用ではないので、縦か横、どちらかを選んでいる。
横の関係では、誰とでも友達のように振る舞いなさい、ということではなく、意識の上で対等であり、主張すべきことは堂々と主張することが大切。そういう風にできる人とでよい、小さなところから少しずつ横の関係を作っていけばよい。
第五夜 いまここを真剣に生きる
自己肯定ではなく自己受容
人前で無邪気に自分を表現できないのはどうすればいいか。
1.自己への執着を他者への関心に切り替え、
2.共同体感覚を持てるようになること
このために必要なのが「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」
自己受容
自己肯定とは、できもしないのにできる、私は強いなどと自らに暗示をかけることであり、自らに嘘をつくことだ。
自己受容とは、できないことがあったとしたら、できない自分をありのままに受け入れ、できるようになろうと前へ進んでいくこと。
100点満点の人間などおらず、誰でも向上したいと思う状況にいる。
変えられるものと変えられないものを見極め、変えられるものは変えていく勇気をもつことが、自己受容である。
他者信頼
信用と信頼を区別しよう。
信用は条件付きの話。信頼とは他者を無条件に信じること。
私たちは無条件の信頼を置くからこそ深い関係が築ける。無条件に他者をだれでも信頼しなさい、ということではなく、無条件の信頼とは、対人関係を良くするために横の関係を築いていくために必要な手段である。
浅い関係なら破たんしても痛みは小さい。他者信頼でもっと深い関係に踏み込む勇気をもってこそ、対人関係の喜びや人生の喜びが増えていく。
裏切られるのが怖いときは、裏切りとは相手の課題であることを理解し、もし裏切られて悲しくなったら思いっきり悲しめばよい。痛みや悲しみを避けようとしなくてよい。私たちは他者を仲間と見なすことを目指しているのだから、信じるか疑うかといったら、信じることを選択するんだ。
ここにいてもいいのだという所属感を得るには他者を仲間だと見なす必要がある。そのためには自己受容と他者信頼が必要。
他者貢献
仲間に貢献しようとすること。自分を犠牲にして誰かに尽くすのではなく、自分の価値を実感するためになされること。
もし、例えば家族のことを仲間だと思えなければ「なぜじぶんだけ?」「なぜ手伝ってくれないの」という発想になってしまう。
自己受容するからこそ裏切りを恐れず他者信頼でき、人は自分の仲間だと思えるからこそ他者貢献でき、他者貢献するから自分は誰かの役に立っていると実感しありのままの自分を受け入れることができる。
若者は大人よりも前を向いている
アドラー心理学を理解し、生き方が変わるまでにはそれまでに生きた年数の半分が必要、と言われている。30歳なら15年必要だから、45歳までかかる。60歳なら90歳までかかる。年齢に関係なく人は変われる。
ワーカホリックは人生の嘘
物事の一部を見て全体を判断する生き方は「人生の調和」を欠いた生き方だ、とアドラー心理学では考える。
仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がないというのは、仕事を口実にほかの責任を回避しようとしているに過ぎない。本来はすべてに関心を寄せるべきで、どこかが突出した生き方をアドラーは認めない。
人は今この瞬間から幸せになれる
人間にとって最大の不幸は自分を好きになれないこと。
私は共同体にとって有益であるという思いだけが、自分に価値があることを実感させてくれる。この他者貢献は目に見える貢献でなくてもよい。
自分は誰かの役に立っているという貢献感を自分でもてればそれでよい。
幸福とは貢献感である。
存在のレベルでいえば人は誰でも役に立っている。だからすべての人が幸福になれるのだが、自分自身で役に立っていると思えなければ幸福にはなれない。
承認欲求を通じて得られた貢献感には自由がない。幸福は自由があってこそ。他者からの承認は必要ない。
特別な存在でありたい人が進む二つの道
特別によくあろうとするのも悪くあろうとするのも、目的は、他者の注目を集め、「特別な存在」になること。だから叱られるという形でも子供は親から注目を得たい。だから叱ると問題行動をやめない。
普通であることの勇気
なぜ特別になる必要があるのか、それは普通の自分が受け入れられないから。
普通であることは無能であることと同じ意味ではない。だからわざわざ優越性を誇示する必要はない。
人生を登山のように考えず、点の連続として考えよう
登山のように線で考え、頂点を目指す生き方をしていると、人生の大半が「途上」になってしまう。私たちの生は今ここにしかないのに、それをしらない大人たちは若者に登山の人生を押し付けようとする。
いまこの瞬間が充実していればそれでよい。例えばダンスではどこかに到達しようと考えないのと同じように。ダンスは踊ることそれ自体が目的であり、その場にとどまることはないが、目的地はない。
人生全体にぼんやり光を当てているから過去や未来が見えるような気がしてしまう(いまここを真剣に生きていない)が、いまここに強烈なスポットライトを当てていたら過去も未来も見えなくなる。
どこに到達したかではなく、どう生きたか、その瞬間瞬間が重要。
目標などなくてもいい、今を真剣に生きること、それ自体がダンスである。
人生は真剣に生きていれば深刻になるようなものではない。
真剣にいまここを生きていれば、人生は常に完結している。
人生の最大の嘘は、いまここを生きないこと。人生全体に光をぼんやりあてて、見えたつもりになっていること。
そんな勇気が自分にあるか?過去も未来もない、今ここで決めればよい。
無意味な人生に意味を与えよ
人はなんのためにいきるのか、アドラーの答えは「一般的な人生の意味はない。あなたが自分自身に与えるものだ」
困難に見舞われたら、これから何ができるのかを考えるべきだ。
自由な人生には迷いがつきもの。そういうときアドラー心理学ではこちらに進めばよいという導きの星」を掲げている。
それは他者貢献である。
まとめ
そんなに分厚い本ではないし、対話形式なので読みやすい本なのですが、内容が濃く、難しかったです。どうまとめるか・・・
人間関係に悩んでいる人は、自分と相手の課題をまず分離しよう。相手の課題に踏み込まず、自分の課題に踏み込ませないのが良い人間関係の第一歩である。
良い関係を築くには横の関係を築くことが大切だ。全ての人は対等だ、だからほめない叱らない、感謝し素直にうれしい気持ちを伝え、お礼を言う。
さらに発展すると、人を無条件に信頼し世界を仲間だと見なし、自分のありのままを受け入れ、変えられることは変える勇気を持ち、人に貢献しているという他者貢献感を自分で持つことができれば幸せになれる。
そして、いまここを生きよう。今を真剣に生きればそれで人生は完結していることになる。
人生の意味を持ちたい人は、自分で自分に与えるしかない。
こんな感じですかね、とても売れている本だけあって本当に読んでよかったです。
コメント
今まで読んだ「アドラー心理学」のサイトの中で、一番よくまとまっている気がしました。 参考にさせていただきます。
ルールーさん、 ありがとう。
コメントありがとうございます!
良くまとまっていたということで、とっても嬉しいです!モチベーションが俄然上がってきました☆