親戚の集まりとか苦手だった私が、苦手を克服した理由

こんばんは!るーるーです。

私は親戚とか、昔の友達で、「知っているけどあまり話さない人」や、「全く知らない人」とお話をするのがすごーく苦手でした。

ですが、今回のおばあちゃんの一周忌や、実家周辺で昔の友達に会った時など、自分から声をかけて話すことができました!

今回は、私がどうして「あまり話したことない人とでも話してみようと思えるようになったのか」について書いていきたいと思います。

親戚の集まりや、昔の知り合いに自分から声をかけようと思った理由

以前『うんこのおじさん』という本を読んで、その中に「家族以外の、斜めの存在が子どもにとって健全に育つために必要である」というようなことが書かれていたからです。

『うんこのおじさん』という本では、親の言うことだけでなく、色々な人の意見や存在を知ることによって、家庭内で行われる育児や価値観の偏りを修正できる。というような内容だったと思います。

私は、大人になってしまいましたが、まだ遅くないと思いました。

自分の世界観を自分と近い人だけで作ってしまったら、世界は狭いものになってしまうと思います。

だから、いろんな人と関わって、その人の考え方、価値観などを知ってみたいと思うようになりました。

家族の他にもいろんな人が私の価値観の形成に影響を与えてきたと思いますが、その価値観だけでものごとを判断しようとすると、どうしても「あれは正しい」「これは間違っている」と白黒つけるようになってしまっていました。

ものごとに白黒つけるようになると、ストレスもたまりやすいですし、あまりその判断基準が頼りにならないかもしれないと思ったので、もっと人を「ああいう人は嫌だ」とかの思い込みから入るのではなく、フラットな視点で、「もしかしたら私が知らなかったいいところが見つかるかもしれない!」と前向きに考えていきたいなと思いました。

実際に自分から話してみたら、相手も心を開いてくれた

自分から話しかけよう!

相手のいいところを見つけよう!

興味があるところしか聞かないのではなくて、一見興味がなさそうな話題も聞いてみよう!

という気持ちで相手と接すると、相手も心を開いてくれるのがわかりました。

 

斜めの存在が人にとって必要だ!と考えると、自分以外の誰が話すことでも興味を持って聞くことができます。

これが、私の中の大きな変化です!

今まで、

「興味がない話は聞きたくない」

とか

「それは悪い、あれは悪い」

なんて思っていた私が、この考え方(斜めの存在が人にとって必要だ)を身につけることによって、

「どんな話でも聞いてみよう」

「自分から声をかけてみよう」

「この人のここが悪いと思うけど、本当にそうかな、この人はこう考えてるから、こういう風にするのかな」

などと思えるようになったのです!

どうしてあまり話したことない人と話してみようと思えるようになったのか

それは、、

 

いろんな人と関わって、いろんな人の価値観や考え方を見聞きすると、自分の価値観の偏りを修正することができる

 

という考え方を身につけたからです。

今回私は、それで人間関係に対する積極性を手に入れたので、他の誰かにも役立てばうれしいです。

子育ても、親が子供を囲い込むのではなく、色々な人と接する機会を大事にしたい

なるべく色々な人と子どもが関わる機会を作って、子どもがバランスの良い価値観を持てるようにお手伝いしていきたいです。

本日の内容はほぼ『うんこのおじさん』参照でした。

 

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